創立年月日は不詳ですが、かつて一帯を治めた天草氏が武士の守り神として建立したといわれています。
安永六年(1777)、明治四年(1871)に激甚な天災により社殿が倒壊。その後、明治六年、同八年に神殿、拝殿が完成し、大正九年に現在の社地へ遷座しました。
神幸祭は10月第2日曜日に催され、男児鉄砲組、女児長刀組の参加を特徴とし、「お休み場」では神楽、獅子舞いが奉納されます。
特殊神事として、天草市無形民族文化財に指定されている、全国でも珍しい虫追い祭があります。
寛永年間(1630ごろ)、害虫が大発生しすべての作物が全滅の状態となりました。見かねた一老婆が氏神に赤い絹布を奉納し、その絹布で田畑の害虫を追い払ったところ、害虫はたちどころに退散し難を逃れたと伝えられています。その後、赤い絹布は五色の吹き流し「虫追い旗」に形を変え、田植えの後に五穀豊穣を願う祈願祭となって、現在まで受け継がれています。
20メートル近い竹竿に五色の絹布を20~30枚ほど結び付けた「虫追い旗」を、鐘や太鼓を打ち鳴らしながら押し立てる様は、色鮮やかで勇壮で、多くの見物人で賑わい、高松宮殿下の天草来島の際には、展覧に供したこともあります。
また、神社では、毎年小寒から大寒まで「寒もうで」が行われ、宮司のホラ貝を合図に、住民が百段の石段を一気に駆け上り境内に広がり、「天突き」「櫓漕ぎ」の体操を行って、心身の鍛錬を図っています。